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コンコンと、ノックの音。
「お嬢様、お目覚めの時間にございます」上品なスーツに身を包んだ執事がドアを開ける。
お姫様ベッドから起き上がる少女。彼女の名は琴吹紬。
「うーん……おはようございます、斉藤」
「食堂に朝食を用意してございます」
「了解です。いつもご苦労様」寝起きでありながらも、紬は丁寧に受け答える。
「ありがとうございます。では私はこれで失礼いたします」そういうと斉藤はペコリとお辞儀をして、紬の部屋を出る。
それを見届けた紬は早速着替えと簡単なベッドメイキングを済ませ、食堂のある一階へと降りていった。
キラキラしたシャンデリアがある食堂に、細長い十二人掛けくらいのダイニングテーブル。その上には八人分の朝
食が用意されている。紬、父、母と住み込みの執事やメイドの為のものだ。琴吹家では朝夕の食事の時間を、一家
とお手伝いの交流の場としている。
「おはようございます、お母さん」食堂に入った紬は、先に椅子に座って英字新聞を読んでいる母に挨拶する。
「おはよう、紬」母は英字新聞を畳み、娘に挨拶を返す。紬の母は多忙な父のスケジュール管理をしている、所謂秘
書のような役割だ。外国語に長けており、英語以外に五カ国語を話せるのだとか。
「紬も読んでみなさいな」そう言うと母は英字新聞を紬に差し出した。
「えっ、でも私にはまだ難しくて」
「何を言っているのです! 紬は将来の琴吹財団のトップを担う身なのですよ。これしきの事が出来なくてどうする
のです!」
「……分かりました」紬は素直に新聞を受け取り、広げて読み始めた。なるほど、完全にとまではいかないが、六割
程度は理解できる。
新聞を読み進めているうちに、メイドや執事たちが続々と食堂に入ってくる。いつの間にか食堂には、紬と母を含
めて七人が勢揃いしていた。まだ来ていないのは……紬の父だ。
「おはよーございます……」フラフラしながら、父が食堂に入ってきた。父はとても寝起きが悪い。
「またお寝坊ですか? もう少ししっかりしたらどうなのです!」厳しい口調で父に注意する母。
「でも、今日開かれる重役会議の準備に梃子摺って、それに――」
「言い訳など聞きたくありません。娘の目の前なのだから、示しのつくようになさいな」
「……善処します」
こういうのが、俗にいう〔妻の尻に敷かれた夫〕なのだろうと紬は思った。
「いただきます」
八人揃ってようやく朝食が始まる。香ばしいながらも上品なトーストの香りが食欲を掻き立てる。
「そういえば紬」やっと目が覚めた様子の父が娘に話しかける。「今度のライブはいつあるんだい?」
「えーと、十月の終わりごろ、ですね」紬は何気なく答える。
「ライブですって!?」突然母が紬に捲し立てる。その声に驚き、うっかりソーセージをテーブルに落とすメイドが一人。
「あなた、まだ軽音楽部を続けてたのですか!?」
――ちょっとまずかったな。紬と父は互いに顔を見合わせそう思った。
「ロックバンドなんて、無教養な一般庶民がやるものだと何べんも言ってあるはずです! 琴吹家の人間がやるよう
なことではありません! いいですか? 今年は大学受験もあるのですよ。バンドなんて下らないことにうつつを抜
かしていては、琴吹財団の将来に係わります!」
――下らないことなんかじゃない!
そう叫びたい紬。しかし、叱られている手前、そのようなことはできなかった。
「お前、ちょっと言い過ぎだよ」代わりに父の助け舟が入る。この父の言葉に、紬は心を救われたような気がした。
「やりたいことをやるがそんなに悪いことかい?」
「あなたに言っているのではございません。あなたがそんなに呑気だから、紬がぼんやりしてるのです!」ぴしゃりと
いう母。俯く父。
「奥様、確かにちょっと酷過ぎると思いますよ」斉藤も口を挟む。「高校時代は大事な時期にございます。青春を楽し
むことには何の問題も無いと思いますが」
「ですから、楽しみ方が悪いと言っているのです。紬、ロックなんて下品で低俗なもの、さっさとお辞めなさい。もっと
琴吹家の跡取りの自覚を持ちなさいな」
母の言葉は紬の心を容赦なく締め付ける。
(もうやめて……もうやめて)紬は段々耐えられなくなってくる。
「全く、あなたのバンド仲間もきっと碌な人間ではないのでしょうね」
「ごちそうさまでした」そう言うと、紬はそそくさと食堂を出て行く。そして支度を済ませ、学校へと出かけた。
通勤快速の中で紬は思った。(何で私、お嬢様なんだろう……)
(続く)